2011年1月30日日曜日

ヌーヴォーモルデンヌ

ロンドン郊外、ウィンブルドンに隣接した街ニューモルデン(New Malden)は欧州一大きな韓国人街があるところ。ニューヨーク郊外のQueensやFort Leeに比べるとかなり小規模なのだが、本場の味が良心的なお値段でいただきたいときはやはりここまで出掛けて行ったほうがいい。
ウィンブルドン在住のりっきーしばしば一家(NY時代から18年のお付き合い!)とニューモルデンのハイストリートにある「PALACE」レストランに行って来た。
入った瞬間新大久保の韓国料理屋の雰囲気。店内のテレビで韓流ドラマなんて流しちゃってる感じのところだった。白人客数名の他はほぼ全員東洋人。セッティングからして盛り上がるじゃないのっ!
あたしたち全員すごく腹が減ってたので、最初のシーフードパジョンとチャプチェをまるでハイエナのごとく無言で食べた(爆)。だから写真撮るヒマも無し。
そのチャプチェとシーフードパジョンが、ほーんとに美味かったっ♡

初めてたべたチキン鍋
これもハイエナたちに一瞬でやられた


外は0℃と極寒なのにしっかり冷麺で〆
あぁまた写真見てたら喰いたくなってきたじゃんっ!


ところで、ロンドンの中心トテナムコートロードにも美味しい韓国料理があるのをはちがとぶ様から教えていただいた。なんでも彼女の韓国人のお友達は市内ではそのレストランにしか行かないらしい。
残念ながらそのレストラン「Po Cha」自体はあまりに人気過ぎて飛び入りでは入れなかったのだけど(客が食べてるもの見たけどすっげー大盛りで美味そう)、そこの隣に何件か隣接してる中の一つの「若者カフェ風」の店に飛び入りで入ったら、ビビンバすごくましそよぉぉぉ(これマズく作るの難しよね)

ねぇ、関係ないけど、日本食がまったく食べられなくなったら、次にどこの国の料理を選びますか?
あたしはイタリアか韓国でかなぁり迷い中・・・( ̄▽ ̄;) あぁ両方ガーリッキィ。
3位は絶対にヴェトナムだな。

2011年1月26日水曜日

Black Swanでフラッシュバック



ダレン・アロノフスキー監督(Requiem for Dreamsなど)の映画Black Swanを夜10時からウェストフィールド(うちの目の前のモール)で観た。
観客を最初からぐいぐいと引き込んで行く監督のテクニックと美しいダンサー達、それとは全く対照的なアロノフスキー監督独特のグロテスクなセリフや映像、オードリー・ペプバーンを彷彿とさせる美しいナタリー・ポートマンが狂気に陥る演技も秀逸だったように思う。
映画は絶対的にお薦めいたしますが繊細な方は寝る前には見ないほうが良いかも。

物語への言及は避けるが、母親(バーバラ・ハーシー)が自分のプロフェッションであるバレエを娘のニーナ(ポートマンの役)を出産する為に諦めなくてはならなかったため、そんな娘のバレエを支援すると同時にまた嫉妬もしている心情が描かれてるかなり主要な部分がある。バーバラ・ハーシーのグロテスクな演技が素晴らしい。

そこであることを苦々しく思い出しちゃった。

ピアノをひとに教えさせていただいて10年以上が経つけど、その中でいろいろなことを経験した。他人と密に接する機会が多くなったことで普段は見ることのない他のご家庭の親子関係を知ることができたのが一番の経験かもしれない。
子供を持ってないので親子の関係を自分の両親との間柄を参考にすることしかできず、自分の親との経験の違いに戸惑ったことも少なくない。あたしゃこんなふうになっちゃったんですけど(☜でへっ♡)あたしら親子ってかなりまともだったんじゃないか、と思わないでもない。
いろんな親子に接している間に、母と娘の関係における「愛憎」のようなものの存在を初めて知ったからだ。(母と息子の関係にはほとんど・・てか全く見られないのに)
母娘の関係がにっちもさっちもいかなくなっちゃってる人達があたしが教えたなかでも驚くほど多い(日本人に限らず)
「んもうっ、母さんったらぁ。」なんていう口喧嘩程度の問題ではない人達。
生徒のお母さん達の中には、もしかしてこの母親は愛が余って、自分自身と娘との境目がわからなくなり、最後には娘を自分とを混同してしまい、自分の分身である娘にやたら当たり散らしている人も少なからずいた。
その中の一人の母親が「ユリ(仮名)みたいなピアノの練習しない子はまぁちゃん先生も嫌いだって。あんたみたいになにやってもトロい子なんて誰も好きじゃないわ。(であたしに向かって)こういうところホント旦那の父親にそっくりなんです。」といきなりユリちゃんが弾いてるときに吐き捨てるように言ったの、ビックリした。
「いえ、あたしはユリちゃん好きですけど。それにお母様、そうやって勝手に私の代弁しないでください。」と娘の前で叱責したことがあった(このパターン多い)。
そしたら、なんと、恥じらいもなくその母親がくずれるように泣いた。「誰もあたしを判ってくれない。娘すらも。」ってやつだ。(小さい娘や息子の前で泣く母親最近流行ってるの?多過ぎるんだよ。ばーか。)
でもユリちゃんをフォローしたつもりのあたしだったけど、その時のユリちゃんの顔がモジリアニの描く女みたいに無表情だったことのほうにビックリしちゃった。泣いている母親なんてまるで見えないようなシラけたうつろな眼。
あたしには到底判らないドロドロな愛憎がマグマのように渦巻いてると思ってあれ以上深く関わることに激しい抵抗感すら感じた(正直ごめそ)。

ブラック・スワンのバーバラ・ハーシーを観たときにフラッシュバックのように目の前にユリちゃん親子(他数名)が黒鳥の如く戻ってきて、それのほうが怖かったの・・・かも。

旦那ほったらかしにしてまで子供に母親の全エネルギーや期待をかけて有名音大行けるように育てても、いざ‘将来’ってのになってみたら「あら、あれだけやったのに結局その程度。二十歳すぎればタダのなんとか」的なピアニストが多いのよぉ、奥様。
あたしみたいに同級生のケツ(男子のね・・・今考えるとかなり不可解・・)触っててもなんちゃって音大出れるんだから、音大入るっていうことだけが最終目的だったら、そっち(て、どっちよ)のほうがいいじゃんっ。(ちなみに音大にエエケツ男子皆無・・・アメリカもしかり☜生活情報)
修学旅行とかクラブ活動とか「甘酸っぱいこと」とか子供や思春期のときにしかできないアクティビティを犠牲にしなさんなよ、って言いたいの。
芸術なんて叩き込んだら成就するというナマ易しいものではないのだよ、母親達・・・。(あ、ちなみにピアノの練習は必要ですよ・・・)
☝『おめーが言うな』ってツッコミMost Welcome。☝

あぁ、怖いわ・・・ここまであたしに考えさせるブラック・スワンってタダもんじゃないわよ。ダレン・・・愛。

2011年1月23日日曜日

謝ってほしい・・・のか??

きれいな夕焼けでしてん♡


あたしがニューヨークで暮らしはじめて、最初に外国人たちに対して不可解に思ったことは
「やつらは簡単には謝らない」
ということ。

でもよく考えてみると、
日本人もここぞという時には欧米人並みに謝らないでしょ?
あやまんないよぉ、あやまんないってぇ。
普段から「すみません」という、本来は謝意を表すことばを軽くどのオケージョンにも濫用してしまうから「謝る国民」というイメージがあるかもしれないけど、実際のところ想像してるほど謝りませんよねぇ。

麻布で家政婦をしてくださってたTさんなんて「すみません、今日のカレーはなんだかまずくなってしまって。」「今日は家を早く出たので予定より10分も早く着いてしまって、すみません。」「写真家の夫が撮ったカレンダーをあつかましくももらっていただいて、すみません。」などと聞いているこちらがイライラしてくるぐらいの「すみませんの大安売り」だったわりには、あたしの大事にしていたマグカップを落として割ってしまったときには
「ちょうど落ち易いところにおかれていらっしゃったようなので。」
と、あ〜しのせいにしゃーがった。

あたし:「Tさん。今、今よっ!あなたが『すみません』を使うときは!さぁ思い切っていつも言っているそのセリフをあたしにぶつけてちょうだいっ!せぇのっ!」

Tさん:「(すごいムッとして)・・・あの・・・弁償しろっていうことでしょうか?」

・・・・この方とはこういう意見の食い違いが多過ぎてその後3回も来ていただかずこちらから一方的にさよならさせていただいて・・・すみますぅえんっ!(汗)

だからあたしゃグルーポンのアメリカ本社の社長がYoutube(☜クリック)で「杜撰なおせち料理」に関して謝ったことにすごくびっくり。日本の代表が謝るのならともかく、なんでこの方が?って思ったのあたしだけ??
まぁそこはおいといて、この方の謝り方というのがあっぱれ。
土下座やら涙なんて見苦しいものなんて一切なく、大変気持ちのよい謝り方だったから。普段は謝らないアメリカ人がよくここまで・・とすら思ったものよ。
(日本側からの圧力ぐらいでアメリカ人が謝るかっての。いや真意は判りませんけど。)

うちのおさーんなんて「へ」したときだけは簡単に「そーりー、ひひっ!」なんて言うくせに、ほんまここぞという時には謝らないんだからっ!
・・・え?そういうあんたは謝るのかですって??
謝るぐらいなら、バスティーユ広場で高貴に斬首されたほうがマシっ。 ひひっ。

2011年1月19日水曜日

ちょっとだけクラシック

 ☝Kavakos plays Banjo and Fiddle by Kroll

皆さんあたしがエロ動画やらサオ師のことしか書けない人間だと思ってらっしゃるみたいだけど、いいえっ、ちゃんとクラシック音楽のことも書きますよ。

先日ウィグモアホールにLeonidas Kavakos(レオニダス・カヴァコス)のヴァイオリンリサイタル(Piano: Enrico Pace☜天才)に行って来ました。
もうそれがあたしの脳内をオーガズムのホルモン汁でじゅくじゅくにしてしまうような演奏会だったの。
あたしゃあのコンサートに行ったおかげで多分寿命が20分ぐらい延びたよ。
あれほど自分と演奏家が一体化(?)できた演奏会もまれ。
多分1990年のイーヴォ・ポゴレリチ@サントリーホール以来かもしれない。

カヴァコスの演奏がどうのとか、彼の音楽の解釈がどうのなんてあたしには一行も書けないんだけど、この場をお借りして(って自分のブログじゃん)あたしにとっての良いクラシックの演奏会の条件3つを独断と偏見で書きますね。

1:演奏がいい
2:ホールの音響がいい
3:観客がいい

Ω\ζ゜)ちーん (わざわざおまえに言われんでもて・・・)

これだけなんだけど、この3つが出そろうことって本当に稀なんです。
とくに、3番目の「観客がいい」っていうのがとても大事。
その意味は静かに真摯な心で有り難みをもって聞く人達(日本のように)ということでもあるけれど、この場合それに比べてある程度曲に対する知識があってクラシックを聞き慣れている人々かどうかということです。
そういうクロート様が多いコンサートはあたしみたいな半シロートな人の気分も盛り上げてくださるの。歌舞伎でやたらめったら「こうらいやっ!なりこまやっ!」なんてかけ声かけちゃう人達が無粋とされていることにちょっと似てますかしら。
その点ロンドンのウィグモアホールにいらっしゃるお客様(あたし含む・・むふぉ♡)はかなりの「つう」でいらっしゃるようにお見受けします。
このカヴァコスのリサイタルのように、地味な演目だったにもかかわらず、あれだけ賞賛の意を表すことのできるお客ってなかなかいないんですよ。
しかも、演奏中針を落としても聞こえるんじゃないかというぐらいの水を打ったような静寂さ。しかも終った後全員が居合わせたように総立ちになるコンサートもまれ。
あら、イギリスの方達も熱いじゃん(どんだけその会場に生粋のイギリス人がいるのかは知らんけど)、って思った夜でした。
ちなみにあたしの経験からいうと演奏中もなにがしかガサゴソ聞こえているのはニューヨーク。そのせいでアメリカで弾きたくないという演奏者はリヒテルだけではありません。そのがさごそに慣れてしまったあたしは東京オペラシティで満員の観客が物音一つ立てないのに逆にビビっちゃったっていう・・。
ちなみにその翌日はミーシャ・マイスキーとロイヤル・フィルでの「ドヴォルザークのチェロ協奏曲(通称:ドボコン)」を聞いてきた。
初めて聞くマイスキーだったけど、派手なシャツと一種異様なオーラなところは印象深かったけど、すっごい期待していたほどの演奏ではなかった(はずである)。でもいろいろなことで勉強にはなりました。ロイヤル・フィルのチェリストHさんによると「へへっ、まぁいっつもあんな感じぃぃ」らしい(爆)。

今日あたしが大好きなコリン・ファースがゴールデングローブの主演男優賞をとった映画「King's Speech」を見て来たんだけど、カヴァコスの演奏ほどあたしの脳の海馬を愛撫してはくれず、ちょっと残念でした(良い映画だとは思うのよ)

2011年1月14日金曜日

ヴィヴィアン達とのシュニッツェル

ヴィヴィアン・ほにゃららウッドにお勤めの皆様がシュニッツェルパーティに招待してくださいました。
このアパートのゴシックさ加減に超感動。まるでブルックリンにある占い師の家みたいだったわ(想像)。
しかもこのアパートメント、グロスターロードとクロムウェルロードという超便利でハイソ(☜死語か?)なところにありながらなんと、家賃が月1000ポンドて、もってけ泥棒やろ。しかも5ベッドルーム2バスルームておまえ、人んことナメとんかっちゅー。このしつらえ(☜美語)だったらフツー最低でも月3500ポンドは絶対にするはず。

やっぱり自分の家で料理してみんなと食べる料理が一番美味しいですよねぇ。
ウィーンで食べたのぐらい美味しかったっ♡
ファビュラス・テオってほんとに料理が本格的で上手なんだわ。
翌日からミラノのショーに行くチームとヘレナ・ボナム・カーターのフィッティングに行くチーム(多分彼女はアカデミー賞でヴィヴィアン・ほにゃららウッドを着るはず。もう行くって決まってるのかしら)でのパーティでした。
ファビュラスなみんなと、ファビュラスな会話、とってもプレシャスでデリシャスなひと時でした。
やだ、あーしったらインチキセレブ調ブロガーみたいな言い回し。書いてて自分で自分のこと殴りたくなっちゃった。グーで。


西洋トンカツのシュニッツェル まじで美味い♡

シュニッツェルに欠かせないポテトサラダ


ラトゥール調 なりきりファビュラス・テオ


☝すっげー好き♡尻触りまくってゴメソ

なりきりダイアン
飲み過ぎ

まだ使われてるのよっ!

階段

チョコレートのケーキ ドイツ語名忘れた

皺が気になるデカ過ぎるパンツ この二人のじゃないよ

2011年1月12日水曜日

ビッグボックスでの秘め事

(性的に不快な話題かもしれません。ヨロシク。)

ホランドパークを精神的開放に向かい歩くおさーん(爆)



またまた思い出話。
ごめんあそーせ。
41歳は過去を振り返って懐かしみはじめる年なのかしら。
毎度お付き合いくださってありがとうございます m(_ _)m

清瀬で夜這いに遭ったりしてたらそりゃ皆さん、あたしがさぞかしコモーションの多い楽しい大学時代を送ったとご想像されてらっしゃるんでしょうね♡
いえいえ、ここだけの話、ニューヨークに移住する前のあの4年間は世間様はお金に溢れてそりゃぁ楽しそうだったけど、あたしにとってみたら全然イケてないつまらない時代でした。
折しも時代はバブル真っ盛り。
皆キンクイお立ち台、皆ルイ・ヴィトン、皆わたしをスキーに連れてって、皆ユーミンサザン湘南&苗場、皆丸井のカード・・・・
そして皆「個性的に自由に生きなきゃ楽しくないっ!」という足かせをはめられて、空の上から見てみたら個性という言葉のもと全員がおなーじように生きていたような時代だったように思います。(全員ユーミン聞いててどこが個性だよっ)
東京ってこうなの?!せっかく苦労して入った大学ってこうなの?!と思い描いていた理想と現実のギャップにかなり悩んでいた時期だったわねぇ。

そんな中、姉の「工場」に遊びに行く事は東京生活での数少ない楽しみの一つであった。
バラしてしまうけど、当時姉の旦那(義兄)はビデオの制作会社を営んでおり、お堅い社会派の映画(熊井啓、新藤兼人作品など)からアダルトビデオまで企画、製作、さらにはダビングまで全ての行程を自社で担っていた。
ビデオ全盛期のあの頃、東村山にかなり大きなダビング工場を持っていて、 パートの人も10人ぐらい来てくれていた。
社会派売るよりもアダルトの需要量が多かったので(そりゃすごい売れ行きよ)工場ではほぼいつもアダルトビデオの梱包発送を担っていた。
その工場に遊びに行くと真面目な良家の主婦達が割烹着を着て、教頭先生がしてる黒くて袖にはめるカバー(名前知らん)して働いてくれてた。
注文の受付もすべて姉とパートの主婦達で処理していた。
「『ふみきりファ○ク 』(☜当社目玉商品)12本追加お願いしますぅ。」だの
「『やっぱりアレが好き』(やっぱり猫が好きのパロディ)今日中100本出せるかしら?」だの
「スズキさぁん(うちの姉)『極太バイブ両穴2本責め』まだ出てないわよぉ。」「あらタカギさん、極太バイブは今朝出荷したわよっ。出てないのは『亀甲ガールズ』のほうでしょ。」なんて、普通の主婦のパートさんたちが素ぅの顔して言うてたんよね。シュール。
(桐野夏生の「アウト」読んだとき、うちのビデオ工場ってアウトの明るいバージョンだわ、って思ったもんだわ)

義兄は現場に行く訳じゃないから直接アダルトの女優さん達とは関わりなかったのだけど、会社の忘年会を毎年高田馬場駅前のビッグボックス(頑張れ西武!)の9階に当時あった「ニューヨーク」というレストランで行うのが恒例で、それには女優、サオ師(男優)達もずらーっと来て紫色のオーラを放っていた。
姉に「あんた、女優さんらと喋ったらあかんよ。悪い影響あるかもしれへんから。あたしがお父ちゃんに怒られるんやから。」・・・
悪い影響って今更なんやねん・・・。
工場でダビングするため修正前のやつを昼間からずーっと流してるほうがずっと悪い影響なんですけども。
一日中「(男)あ〜〜〜。いくの?ねぇ、いくの?俺いっちゃうよぉ。ねぇ、俺先にいっちゃうよぉぉぉぉ!とぁおっ(☜このウルトラマンみたいな声必ず皆出すよね)」なんてのをハイブリットで何本も流してるんよ、あの工場。 清純派の同級生久美ちゃんが(☜既出の)遊びに来たとき「まぁちゃんの家は・・・かなり最先端行ってるね。」なんて青筋たてながら言ってくださって・・・。
パーティではいつもビデオの中では裸で「お仕事」されてるみなさんが冬服を着て「あぁアベちゃん(☜女優)最近ご無沙汰じゃないっすか。どう景気いいの?」なんてフツーの会話聞くの、逆にテレるわよね。
ビデオでその方がアベちゃんとベッドの上でかなり濃密な感じで「とぁおっ!」なんて言ってた姿を思い出しちゃう22歳のあたし、Oh, yeah。

特筆すべきはサオ師の方達の聡明なことよ。
女優さん達はちょっとツンケンしていたので喋りづらかったけど(別に興味ねーし)サオ師さんたちは気さくでおはなしも面白く、特にあたしの喋った二人のうち一人はなんとチューオーのホーカ、もう一人はヒトツバシのホーカ(爆)を出ていらっしゃる方だったから余計に興味深かった。
いろいろな哲学的理由でサオ師を始めたらしいんだけど、ヒトツバシのほうが
「結局のところ、性行為を人に見せるのも、やるのも心から好きじゃないとこの仕事はできないんです(☜社長の義弟には喋りが丁寧)。普段女の子とエッチできないからなんて生易しい動機では辛くなりますね。あと完全に精神的に開放されてないと無理なんですよ、これが。僕たちの仕事を卑下する方達いらっしゃいますが、もし卑下しているなら絶対見ないでいただきたい。それだけです。」
って蒼い時の(爆)あたしに言うてたの、今でも忘れられん。
あたしそのころピアノしててもそれに全く生き甲斐が見いだせず、バブルの東京に飲みこまれてしまう恐怖感みたいなものに苛まれていて精神的にまったく開放されてなかったから、彼の言葉が心の深いところにずーんと響いちゃったの。
そんな黒いタートルネックのセーター着てトツトツと喋るサオ師のヒトツバシさんがやたらと神々しくステキに見えちゃったりもして・・・。
それから「精神的に開放される」っていったいどういうことなんだろう、って大学院に行った時も卒業してからもずっと考えてきたような気がするけど、最近になってちょっとだけ判ってきたような。年もとるもんですね♡

あれから20年近く経つから、彼らももう50代後半。
もしかして、まだ現役でサオ師してらっしゃるのかしら。
それともその後司法試験合格してどこかでセンセイなんて呼ばれてるのかしら・・・。
あれから10年も経たないうちにビデオが完全に地球から消滅し、義兄の会社も商売の内容を時代に合わせて変えていかずを得なくなった。
ギラギラしてたAV女優さんやらサオ師さんたち、ビデオのダビング機材、割烹着のパートの主婦達、 それはあたしの灰色の時代に共有することができた数少ない極彩天然色の思い出・・・。

ネットでポルノが氾濫してるこの時代、ポルノ映像(エロ動画)に出たことのある人は(過去からのも含めて)5万とも10万とも言われている。
マクドナルドかよ。
あぁつまんね。そっち系で開放はもう無理ですぜ。

ちなみにうちにチーちゃんていう名前のヘビみたいなシャム猫が15年ぐらいいた。
そのチーちゃん、本名「千代君(ちよぎみ)」って言うんだけど、その頃人気絶頂だったAV女優、千代君さんから頂いたの。へらへら普通に喋りながらバイブ2本プレイ(やだーっ♡)で有名だった女優さん。淫乱四天王の一人(かの有名な豊丸さんもその一人)。おぼえてる?
ちなみにチーちゃんはオス♂でした。Ω\ζ゜)ちーん

さて、次回は、気分を変えて世紀末ドイツリートにおけるリヒャルト・シュトラウス的考察とその和音進行の変容についてでも書きます。
うそです。

2011年1月9日日曜日

清瀬での秘め事

ちょびっと思い出話・・・。

あたしのお肌にまだ弾力っつーものがあった大学生のころの話。
大学4年間と卒業後の約1年間、東京は西武池袋線沿いにある清瀬という国立結核療養所(清瀬と言えばひと昔前の人は誰しも『あの療養所の』と言う)と中森明菜の出身地としてのみ有名な街に住んでいた。
24時間ピアノが弾けるというふれこみのアパートだったのにも関わらず10時以降弾いていたらかならず苦情がでたのよ。ま、どうせそんなに弾かなかったからいいけど・・・。
一応防音ということではあったので窓も頑丈な二重のサッシ窓で作られていて、外から人に叫ばれても全然聞こえなかった(建物内での楽器は聞こえる)。

とても暑い1991年の夏の夜のこと。
普段は絶対にしないのに(1階なので)その夜に限って2重サッシを2枚ともちょっとだけ開けて、涼しい風を感じながら気持ち良く熟睡していた。
夢の中で誰かが首筋あたりを舐めるように一定のリズムで撫でていた。
あたしは夢うつつで「久美ちゃん(当時の親友)に鍵渡しといたから家に勝手に上がったのかな?・・・でもあたしの首筋こんなにナデナデするか?」なんて思っていたらそのナデナデがだんだん現実味をおびてきて、久美ちゃんであるはずなのに低い声で
「あぁぁぁ。あぁぁぁ。いぃぃぃぃ。(☜ノンフィクション)
なんてうめき出したもんだから、あたしゃバチっ!と目を覚まし、その手の主を暗闇の中確認した。
なんとそこには上はTシャツ、下はズボンを足首まで下ろして白ブリーフまる見せの年齢30そこそこの、見るからにオタクチックな男が白目を剥きながら熱い吐息で、パジャマのはだけたところの鎖骨のあたりをナデナデしていたのだった。
ぜんぜん久美ちゃんじゃなかった・・・。Ω\ζ゜)ちーん
しかも床に寝てるあたしの目の前にその白ブリーフがあって、真っ暗だったのにも関わらず中のものが完全に「北北西方面」(☜ヒッチコック)を指していたのもしっかり確認できた。(わぁお・・・)
びっくりしたなんてもんじゃなく、咄嗟に身の危険を察したあたしは、アムステルダムで暴漢に遭った時に叫んだごとく
ぐぁぁぁぁぁぁつ!ぎぇぇぇぇぇぇっ!
とありったけの声量を持ってスクリームしたらその男、そのあたしの声を畳み掛けるような倍の音量で
ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああっ!
とまるで天が崩れおちる如くの断末魔を闇夜に響かせた。
一瞬にしてその哀れな男の人生を狂わせてしまったことを悟ったのだった。

あたしが男だってことその時まで気づかなかったらしい・・・。

それも無理はない。
その時ベランダには姉からもらった紫色のサテンの小さめのパンツが外に干してあり(パンティーと言ってもオッケーぐらいの大きさだったかも)に布団セットはY's for livingの超ガーリーなギンガムチェックだったんだもの(むふ♡)。しかもピアノは置いてあったし・・・。
ぎゃぁぁぁと叫びながらその男、サッシまでたどたどしく駆けて行き(ズボンが下がってるので走りにくそうに)靴を履く間だけは無言になり(爆)、その後脱兎のごとく、ぁぁぁぁぁぁぁぁっ!と再び叫びながら療養所方面の闇夜に消えて行った。
襲うんだったら土足のまま上がればいいのに、律儀な人だわねぇ(爆)。
恐怖が去ったのはいいけど、なんだか気の毒にもなっちゃった・・・(涙)。

夜中の3時ぐらいだったが、警察に電話したらすぐ来てくれた。
ぶっさいくな警官が
「なんでここに入ったんでしょうねぇ。いったい何の目的で?本当に何も盗られてないんですか?あんたを女と間違えるなんてあり得ないよ。いちおうサッシは閉めてね。」
って素ぅで何度も言いよったのにムカついたっちゅー(実際女と間違えるなんておっしゃるとおりあり得ないんっすけどね)
たまたま犯人はあたしを女性だと思ってたかもしれないけど、その時に「男は女を襲うもの。男は男を絶対に襲わない。」という既成概念から警察が話を進めて行くのに甚だ憤りを感じた。いつまでもいろんな意味でセクハラな国だわっ(今もよね)。

翌日となりに住んでいる大学の後輩のタナベちゃんが
「せんぱぁぁぁい、昨日はお・さ・か・ん♡すごい声でしたよぉぉ♡」ってニヤケながら言うてきたんで、迷うことなくタナベちゃんを公衆の面前で股裂きの刑に処した。あたしの叫び声が聞こえたんやったらただちに助けに来んかいっ!

それ以来一回も北北西系(Ω\ζ゜)ちーん)では襲われてません・・・。
清瀬療養所となりのアパートで命をはった甘酸っぱい秘め事。
もうあれから20年も経ってしまった。
あたしをナデナデしていたPoor You、お元気でいらっしゃいますか?
それから白いブリーフ見るたびに(NYって結構白いブリーフの紳士が多いの・・特にユダヤ系に。激白、わお)あの思い出が蘇ってきます。

ちなみにこのアパートの他の住人たちといろんな思い出があるのよ。
また近いうちに書こうっと。

2011年1月7日金曜日

倫敦美食外伝

一つ前のブログで「ロンドンの食べ物はやっぱりマズい」と怒りにまかせて書いてしまいましたが付け足しの意味でもう一度食べ物について書かせていただきたい。

何度も言いますが、あたしは決してグルメなどではない。
イギリスの超人気グルメ番組「Come dine with me」のように人様が料理してくれたものに対して易々と「マズい」などといえる立場でもなけりゃ(それが番組の主旨だからしゃーないけど)、食い道楽の経験もあんまない(イギリス人、本当に味が判ってるのかどうか甚だ疑わしいが、公の場で他人を批判させたら世界一。耳を塞ぎたくなること少なからず)
あたしの場合、使ってるものが新鮮(一番大事ね)で値段的に気軽に食べられて、サービスがフレンドリーなレストランであれば大体オッケーなのよ。(なので20個のペンネに9ポンドだなんて・・・許されたものではない)

ここにあたしのロンドン生活で欠かすことのできないレストランをご紹介する時が来た。
誤解しないでもらいたいのだけど、あたしはこのレストランをご紹介してるのであって、決して推薦してるわけではありません。


タリアテッレ・アルフレード

グラスワインもなみなみ注いでいただいてご機嫌♡

5ポンドは安いっしょー

それはうちから徒歩3分のところにあり、一週間おきに必ず行っているイタリアンレストランの「Armando's」
イタリアンと銘打ちながら実は経営者、コック兼ウェイトレス、すべてペルシャ人(イラン人)。
本流からはかなりずれているイタリアンレストランなのである。
でもあたしもおさーんもこのレストランのことをかなり気に入っている。
いつもいるコック兼ウェイトレスの女性はペルシャ的なスカーフで首も頭髪も隠していて、英語もおぼつかないのだが大変フレンドリー。「あんたたちまた来たねっ!」的グリーティングがすごく嬉しい。
パスタソースは全て彼女のお手製。本場イタリアの味とはちーと違いますが、ペストもトマトソースも初めから作っている。
あたしは毎回「タリアテッレ・アルフレード」を注文するので「いつもの、あれ」で通じてしまうのも有り難い。
特筆すべきは、このレストラン、パスタ類はすべて5ポンドだということ。
5ポンドよっ!二人で喰っても10ポンドっ!(当たり前)
しかも大盛りっ!
おさーんとワインを一杯ずつ飲んだとしても17ポンドなのっ!
ランチもディナーも同じ値段設定なのは、このロンドンではありえない。
この値段といい、働いている人の感じの良さといい、たとえそれは本流のパスタの味からはずれているかもしれないけれど、私たちにしてみたら二重丸なのである。

何回も言いますけど、ここを推薦しているわけではありませんからね。グルメ読者から「これはパスタとは言わない」などとお叱りをうけたらかなわんからな・・・。

ちなみにスウェーデンのルンドにスウェーデン人の金髪にいちゃん達が一生懸命握ってる寿司屋がある(Rå Epokって名前)。
浅草橋あたりの寿司屋が聞いたらひっくり返るであろうナンチャッテ寿司なのだけど、おにいちゃん達の寿司作りに対する健気さに心を奪われ2回も行ってしまった。2回目にパツキンから「この前も来てくれたよね。また来てくれてありがとう。」と言われてマジ感涙。
お値段もランチセットで5ポンドちょっと(69クローネ)だった(スープ付き)。 
料理も音楽も作る人(奏でる人)の健気で真摯な気持ちが入っているかどうか、ということが重要なのではあーりませんかしら。

・・自分はあんまり食にこだわるほうではないと書きながら・・・
やっぱロンドンはもうちょっと美味しくなっても悪くはないわ・・・という意見には変わりなく・・・。
第一級世界都市++なんだから頑張れよっ!
(ちなみにこの第一級世界都市++の街は他にニューヨークのみ。東京ですら+なのよ。いったい何が基準なのかしら・・・)
パッションフルーツ乗ってるの(爆)

2011年1月5日水曜日

倫敦美食伝説

 この火鍋の出汁は美味かったが
出て来た野菜がアカンかった
洗ってないんだもの
キノコに土付いてたんよっ!
それでも満員の店内に仰天



みなさん「ロンドンはマズいでしょう」と口をそろえておっしゃいますけどね、
それに「はい」と即答するのは、いやはや、いくらなんでも忍びない。
だってロンドンも本当に頑張っているんですもの。
それはまるで「あんたの息子、頭悪いでしょう。」との問いに、
「失敬な。あいつはあいつなりに頑張ってるんだっ!」と答えるであろう親心みたいなものかと。

でもね、いつの世もそんな親が一番息子の頭の出来具合が判ってる、というアイロニー。

今日食べたランチのイタリアン。
おさーんの注文したペンネはなんとペンネが20個ぐらいしかのってなくて、9ポンド。
ペンネ一個に45ペンスも払ったと思うと腹立たしい。
しかもそのソースがまるでテスコで売られているような既製品の酸っぱいソースの味。
あたしのラビオリは作ったまま長いこと水に付けておいたようなドロドロしたパスタにこの世のものとは思えない塩辛い中身がつまっていた。
それに洗っていないのが一目でわかるエッジが茶色の緑の野菜が添えられていた。
普段「ロンドンも美味しくなってきたのよぉ♡」なんて言ってやってるあたしにこんな手痛い仕打ちはないんとちゃうか?というぐらいの杜撰なものだった。
しかも店はイギリス人でほぼ満席。
「It's wonderful。」などと言いながら丸焦げのチキンを食べている淑女やら「頑張ったらブルスケッタに見えないこともないブルスケッタ」を嬉々として食べている紳士。
大変由々しい問題だと思う。

ハッキリ言ってロンドンも美味しいと言えるものはあるにはある。
でもそれは氷山の一角。水面下には3回(2回までは食べる)は食べたくないものばかり。
(いつもバラマーケットやらに行くわけにはいかない・・・遠いから)
マズいとピンポイントで指摘できるものは少ないにしても大体の食べ物が「食べられるけど、これって美味いんか?」的な印象なのは否めない。(Don't you agree?)
だからあたしロンドンのレストランについていつの間にか書くのをやめちゃったよ(パエリアが美味しかった記事以来書いてないはず)
だって実のところはどこも50歩100歩なんですものぉ。
とあるニューヨークの有名なお寿司屋さんが(経営者日本人)ロンドンで出店しようとここの土地柄やら人々の食に対する意識を調査したところ、Yo!やらWagamamaの寿司を美味しいなどという富裕層があまりにも多すぎて出店をあえなく取りやめたのだそう。 食のクオリティなんかにこだわらない人達がまだまだ本当に多いらしいのだ。

これを読んだ貴兄は「なぜゆえロンドンに住んでいるのか?」と聞くであろう。
それにはこう答える。「自分の子供は成績が悪くても捨てられません。できない子供でも愛しているからね。」と。

でも賢い親であるあたしは冬空に向かいて静かに自問する。
果たして、うちの息子に他に良いところはあるのか・・・とも。
遠くない将来、そんな自分の息子に愛想が尽きることになったらどうしよう・・・。


ちなみにフォローだけど美味しく作ってあるイギリス料理っつーのは美味しい。
が、それをいつでも食べたいか、と言われたら3ヶ月に1回ぐらいで結構なのである。
Ω\ζ゜)ちーん 

2011年1月1日土曜日

あけましておめでとう2011


みなさん、あけましておめでとうございます。

年が明けるだけでおめでとうって何で言うのかしらねぇ。
そういえばおめでとうって言葉、おめでたくもない誕生日の時に言ってもらえるけど、最後にそれ以外で聞いたのは・・・英国ビザ修得の時。あらたったの2年前。最近じゃんっ。
これっておめでたかったのかしら、ってこと書き始めたら英国の悪口につながっていっちゃうから、元旦にはやめとく(爆)。

とりあえず今年の抱負:

「自分の幸せを優先して考え、それに向かって邁進させていただく」

ってことで、よろしく。
そうなの、大殺界も抜け出たし(爆)今までよりもさらに勝手に邁進させていただきます、ってことなのよ。
自分が幸せじゃないかぎり、人様を幸せにするなんてとてもじゃないが無理ってことがわかった、41歳。
みんな他人のことをちょっとづつ余計に、しかも嫌々慮るから段々それが重なって、最後は鬱とかになっちゃうのよっ(あたしは2年前それでなっちゃった・・・と思う)
自分の幸せだけを一人一人が考えてたら、あんまりそうはならないと思うんだけど。
とりあえず人間関係ではならない・・・のではないか。


お屠蘇もおせちも雑煮もない、節操のない元旦に記す。
リラックスしてて、これも悪かない。

今年もよろしくおねがいします♡